Home »そば »そば前とは? そば前とは?★ ¨上級庶民¨の文化「そば前」 江戸時代、店舗を構える蕎麦屋は、大店の旦那衆など上級庶民が羽織を着て通うちょっと洒落た店でした。 この上級庶民は、戦国の世で破れ去った側の武士がその祖(秀吉側)。 茶の湯などを嗜んでいた教養高き侍たちが徳川時代に花開く「粋で鯔背な江戸文化」を生み出したと言われています。 「先ずそば前に一っぱい致そう。のめる肴2、3種類頼む」江戸時代中期の滑稽本「評判龍美野子」(ひょうばんたつのみやこ)に初めて「そば前」という言葉が登場します。 現在では、蕎麦前=肴という認識をされますが、本来は蕎麦の前に酒を飲むことを意味します。 当時、蕎麦屋は営業中に蕎麦を打つので、蕎麦が出てくるまでに時間がかかりました。その時にせっかちな江戸っ子の気をなだめたのが酒です。 人気だったのが、上等な「下り酒」※関西(上方)から江戸に下ってくる酒 木樽に詰めて遠路はるばるやってきた酒は、杉の香りが立ち、江戸っ子の心をくすぐり上等とされました。 現在老舗と呼ばれる蕎麦屋に灘の酒が置かれ樽酒を出す店もあり、なんでいまさら、、と思いますが往時の名残です。 酒のつまみとなるのは、蕎麦屋の種物(おかめの具や天ぷら)、かえししょうゆや蕎麦つゆを使って手間をかけずにつくれるものが基本とされました。 上等な「下り酒」は高価!だけど、肴はあるものを上手にアレンジ、財布があまり痛まない庶民の贅沢として、蕎麦前は定着しました。 「そば前」にはこういった文化的な背景があります。蕎麦屋に来たら、そば前文化もをぜひお楽しみください。 文 半田蕎里 鈴木健悟 Tweet VFA ←手打ちと機械打ちの違… 2024年8月31日
江戸時代、店舗を構える蕎麦屋は、大店の旦那衆など上級庶民が羽織を着て通うちょっと洒落た店でした。
この上級庶民は、戦国の世で破れ去った側の武士がその祖(秀吉側)。
茶の湯などを嗜んでいた教養高き侍たちが徳川時代に花開く「粋で鯔背な江戸文化」を生み出したと言われています。
「先ずそば前に一っぱい致そう。のめる肴2、3種類頼む」江戸時代中期の滑稽本「評判龍美野子」(ひょうばんたつのみやこ)に初めて「そば前」という言葉が登場します。
現在では、蕎麦前=肴という認識をされますが、本来は蕎麦の前に酒を飲むことを意味します。
当時、蕎麦屋は営業中に蕎麦を打つので、蕎麦が出てくるまでに時間がかかりました。その時にせっかちな江戸っ子の気をなだめたのが酒です。
人気だったのが、上等な「下り酒」※関西(上方)から江戸に下ってくる酒
木樽に詰めて遠路はるばるやってきた酒は、杉の香りが立ち、江戸っ子の心をくすぐり上等とされました。
現在老舗と呼ばれる蕎麦屋に灘の酒が置かれ樽酒を出す店もあり、なんでいまさら、、と思いますが往時の名残です。
酒のつまみとなるのは、蕎麦屋の種物(おかめの具や天ぷら)、かえししょうゆや蕎麦つゆを使って手間をかけずにつくれるものが基本とされました。
上等な「下り酒」は高価!だけど、肴はあるものを上手にアレンジ、財布があまり痛まない庶民の贅沢として、蕎麦前は定着しました。
「そば前」にはこういった文化的な背景があります。蕎麦屋に来たら、そば前文化もをぜひお楽しみください。
文 半田蕎里 鈴木健悟